測定したデータをどう活用するかによって気になってくる部分なのだと思います。例えば、人材の成長度合いを見るのに活用したい、という文脈では成長の軌跡がパーソナリティとして測定されると良いですね。一方で、何らかの評価、見極めに使いたいという文脈では、測るタイミングによって変わるのでは困りものです。
基本的には、測定は変わりにくい部分を測るものではあるのですが、その前提として、パーソナリティとは何であるかを理解する必要があります。
そもそも、パーソナリティ=人間 ではありません。(叱られてしまいそうですが)
パーソナリティとは、人の特徴を共有するために言語という記号に置き換えたものです。語源はラテン語のペルソナ、仮面とか役割とか人などを現す言葉です。
言語化することで、ある一定の情報、認知の共有化が可能になるメリットがある一方、本質の持っているなめらかさを失うという大きな問題が発生します。
例えば、「外向的である」と言語化すると「外向的ではない」という対立する言葉が生じ、それはデジタルな情報となります。「やや」とか「あまり」など副詞をつけて曖昧にすることもありますが、それも気休めです。
一方で、言語化によりデジタル化された情報は、人間にとって認知、操作、構造化することがとても楽な情報です。デジタル化された情報の扱いやすさはムーアの法則など爆発的に進む情報技術の進展を見てもわかると思います。
さて、「本質の持っているなめらかさ」とは何でしょうか?
生物は常に、自分の周囲の環境と協同しています。例えば、平らな場所に砂を落とし続けると山が出来ますが、その砂山はある角度に達すると崩れてなだらかになり、砂を落とし続けるとそこからまた高くなっていきやがて崩れます。また、風が吹くとその風にあわせて砂の山は形を変えます。
ここからは想像力の世界ですが、そのなめらかな砂山は実は様々な勾配の上にあって勾配にあわせて低いほうに動きながら、同時に自らに砂を落とし続けるシステムだと考えます。そのとき、なめらかな砂山の外観は、構築物のように認知されますが、実はつねに変化していて構築物ではありません。
これが生物であり「人間」です。そして、「人間」は生物のなかでも環境の一部である外部の構造を利用して自分のリソースを空けながら能力を高めることに成功した生物のひとつです。(「人間」以外にも外部の構造や道具を使う生物がいることは良く知られています)
ちなみに「人間」はさらに外部の構造を自分で再帰的に構築することで能力を飛躍的に手に入れました。
さて、冒頭の「パーソナリティって変わるのですか?」「測定結果ってかわるのですか?」という質問ですが、私たちが扱いやすい言語、記述によって認知、操作、構造化するパーソナリティとは、外からは同じに見える砂山で、構造のように思える外観のことです。(しかしこれは実は構造ではなく堆積と崩壊の連続です。) また砂山が動く際の勾配が何なのか(人によって違います)を知る手掛かりになります。
「一見、同じように見えても実は常に変わり続けていて同じではない。また、見知らぬ勾配に出会わなければ結果(外観)はだいたい同じようなものになる」
という、なめらかな人間の姿が私の答えになります。
川の水。一見、同じようですが常に入れ替わっているのです
