振り返るとシゴトについて、より深く考えるようになるタイミングがありました。
世の中的にも社会人デビューを迎える時、多くの人はハタチ前後、一通りシゴトが見渡せるようになる三十路あたり、次のステージへの移行期であるアラフォー、人生とシゴトのやじろべえに揺れる五十過ぎあたりが、そういったタイミングであるように思います。
女性は、さらにライフイベント「シゴトノギャップイヤー」がそれぞれのタイミングを横断する形であります。
それら次期の考え方を抽象的に捉えると、予習、実習、選択、決断と表現できそうです。
予習・・・最近はインターンシップなど、シゴトを予習する機会が増えていますが、1984年頃は予習するといえば先輩、友達、先生、親、あとは就職情報誌でした。当時は予習をしたという実感は無かったですね。今の学生には、是非、こうした「越境」の機会、アダルトニア(キッザニアの大人版)をどんどんチャレンジして欲しいです。特に、「勝手にアダルトニア」(募集があるから、ではなく、自らの発意をもって行うインターンシップ)を。
実習・・・考えていたシゴトと身を以て知る仕事の違いの連続でした。学生時代の新しいものを積極的に取り入れる意識が通用しないアナクロな世界でありコテコテのサラリーマン哀歌、それが実習の第一印象です。一方、仕事そのものの難易度が高く、「オサメルコト」と大人の世界の作法と生き方という「ハタラクコト」に直面していた記憶があります。
選択・・・この道をこのまま進むのか、他の道を選ぶのか、実習を終えてコースを選択する場面です。自分はこの選択に関して十数年の期間中に二回の経験があります。
「エラベルコト」なのでどんどんチャレンジすれば良いと思います。
ただし、その際に重要なのことは、「実習ヲ終エテイルコト」なのだと最近、経験者採用の面接を行っていて強く感じます。選択前であっても、新たなシゴトにおける貢献が出来ていないのであれば「エラベルコト」とは言えません。大学を卒業してもそれで大学院に入れるわけではないことと同じです。
もちろん「ハタラクコト」の理解も終えている必要があります。具体的に自らの市場価値を定義できず、一方では完璧な正義を振りかざしている人には、本人が選んでいると思っていても、本当の意味での”選択”はありません。
決断・・・この道で何を極めるのか、ひとつひとつの出会いや出来事に対して意味づけを行い、さらに考え決断する、小さなことから大きなことまで決断の連続です。自分の人生に責任を持ち、己が道を行くのです。
シゴトという言葉は一つですが、多様な意味が満ちています。
カモメハカモメ シゴトハシゴト?