”ぼくが歩いてきた日々と道のりを
ほんとはジブンっていうらしい”
「キャリア」を考える際には、これまでの仕事や自分らしさを振り返ること。私のなかでの「キャリアの棚卸し」とはそんなイメージです。
そういえば自分事ですが、いろいろな経験を積む事が出来ました。全てを棚卸ししようとするとこれまでの蓄積と同じ時間が掛かってしまいますから大分端折った棚卸しであり、おそらく、クリティカルな出来事中心にストーリー化されるのだと思います。それは、絵コンテであったり、写真集であったり、記述であったりするでしょう。
ところで、そのコンテンツ=”ジブン”なのでしょうか?
私たちは直接取得した経験の他に、代理経験などによっても経験を蓄積します。それらの連鎖を考えると、どうも”ジブン”の範囲があやしくなってきます。極論を言えば、”ジブン”は世界の一部で有るが故に、世界とは切り離せないもの、世界=”ジブン”とも言えるのではないでしょうか。
「世界は俺の物だ!」みたいな誇大妄想ではなく、環境と連鎖することで初めてそこに”ジブン”が出現するはずです。であれば、切り取ったコンテンツ=”ジブン”と認知することはとても限定的で特殊な、他者に関わらせない”ジブン”です。
かつて「世界でたったひとつの花」という歌がありましたが、これも同じコンテクストです。世界から切り取った”ジブン”とは私的所有の実態なのです。
ワークショップのファシリテートや組織運営を行うと、思い通りに動かないメンバーに困ったり苛立ったりしますが、そんな”ジブン”を俯瞰すると自らの私有意識に気づきます。もう少し言い方をかえるとそれは支配欲求なのでしょう。また、支配欲求とは異なりますが写真も私有意識の象徴です。
私にとって「キャリア」も「ファシリテート」も「マネジメント」も「写真」も私有という、切り取った”ジブン”に気づくサインであるようです。
切り取った”ジブン”
