さて、事実から紡がれる文脈には、データサイエンスにおける考察と、データソース(データの元となった活動)に関する考察が交差します。ですから、データが語る真実に聞き耳を立てるということは、データの差に気がつくということとは質が異なっています。
例えば、データの差はレコードの溝のようなものと考えると分かり易いかもしれません。
手で触れば溝の凸凹はわかりますが、音は聞こえてきません。データが語る真実とは、溝に触れた針先の振動を増幅することで、そこに隠されている音楽が姿を見せるようなものです。
また、データの語る真実は、音楽に、リズムと旋律があるようにデータサイエンスとしての土台と、データソースのゆらぎとが統合されたものと捉えられます。
つまり、リズムの悪い音楽が聞くに耐えないように、また、旋律の無い音楽が単調でつまらないのと似ていると思うのです。
ところで楽曲でアップテンポな曲やバラードなど、リズム、旋律ともに変化があると聴き手の世界が広がるように、データが語る真実においても、本来はノイズかもしれない結果に刺激を受けてしまうことがあります。
しかし、名演奏にまぐれが無いように、データが語る真実に関しても偶然は無いことを忘れてはなりません。下手な演奏者が奏でる奇妙な結果を面白がってはいけないのです。それは、何かが「変」なのです。
名演奏には拍手がつきもの