2013年12月7日土曜日

正義と他責の違いを考える

今週を振り返ると、いくつか同じ種類の問題に出会った気がします。

それは、「筋の通らない出来事」にどう向き合うのかという問題です。不快感を持ったり、攻撃的な感情になります。しかし、すこし冷静になって見ると「筋が通らない」というのは私の考えであることにも気づきます。

起こりうる出来事、と考えればすべて、身の回りの出来事は起こりうる事です。統計学では、その起こりうる可能性を「確率」として表現します。最近、注目が集まっている「ベイズ確率」では、背景の確からしさも勘案したうえで、より現実的な確率を求めようとするなど、起こりうる可能性の研究は進んでいますが、宣伝でも言っているように、「可能性はゼロではない」のです。

そのなかで、起きたことを「正しい、正しくない」「好き、嫌い」「摂理、道理」などと判断しているのは「人」です。「人」の判断には「心理学的、倫理的、宗教的」3つの立場があります。「正しい、正しくない」は倫理的立場であって、「契約」とはその立場をより明確に、強化するものでしょう。

要するに、契約関係の存在が出来事に対して「正しい、正しくない」との判断を生んでいるように思うのです。

この契約というのは、仕事であれば、「業務契約書」ですが、雇用契約、地域社会、国民と国家、などなど明文化されいるものいないもの様々であって、「個人」にとっては外的なものです。ゆえにどのような外的な基準に照らし合わせるかで「正義」になったり「他責」になったりするのでしょう。

掟や慣習が通用しないことは「起きうること」です。倫理感に生じるコンフリクトから正義を振りかざすのも他者を責めるのも根は同じように考えます。ですから、出来事に囚われて情動に支配される必要はありません。そして、そういう他者とは契約を結んではいけないことは明確です。