2013年12月8日日曜日

共感がおこる共通点の質的構造に関する考察

犬を飼っている人にとって、犬の話は、場が盛り上がり共感を生む絶好のコミュニケーションネタです。

「うちの犬は○○という犬種で・・・」
「もう10歳なもんで・・・」
「癒されるよね・・・」

犬を飼っていない人が「可愛いですか?」などと聞こうものなら飼っている人達は可愛さの大合唱をはじめます。

ところで最近、以下のような会話がありました。

「14歳で亡くなり、ペットロスでずっとだめだったんですよ」
「うちのは13歳」「あ、うちも13歳」

そんなとき、
「うちにも変なのがずっといるんですけど」
と、飼っていない人が発言すると
「え?変なのって?」とすかさず質問。
すると
「イグアナですよ。もう18歳なんですよ」

「・・・」「へぇ・・・」

そこからはなかなか会話は深まりません。
そりゃそうですよね。

ただ、この話を振り返ってみると、二つのことに気づきます。

一つは、記号のこと。話のなかで違っているのは「犬」と「イグアナ」の部分だけです。
「高齢である」、「ペットである」、「長く飼っている」ことに違いはありません。
四つある記号のうち、一つが違っているだけで共感が生まれないのはなぜでしょうか。
それは、コミュニケーションによって交換してるのは記号でなく、記号を媒介として五感(+第六感)による感覚の交換が行われているからでしょう。具体的には、コミュニケーションを通じて見た目はもちろん、重さ、手触り、匂い、声、そして絆が交換されるので、それらを想起できない「イグアナ」に対しては共感が生まれ難いのです。

もう一つは、共感するネタを使って社会的関係性の組み替えを常に行っていることです。共感することでそれまで、あまり親密感が無かった人と仲良くなれます。このような組み替えは頻繁に起こっており、中には恣意的、誘導的に行われることもあります。企業イベントなどはその一例です。

最近、AKBの「恋するフォーチュンクッキー」PVの企業版が話題になっていますが、そこには一つは踊りを通じて得られる感覚の交換があり、一つは組織内関係の再構築という二つの質的構造が隠されているのだと思います。


紅葉を見た人は交換です