2021年5月30日日曜日

人であることの意味を生きる

人はなぜ働くのだろうか

人はどう働くのだろうか

人はどうあるべきなのだろうか

人はなぜ悲劇を招くのだろうか

人はなぜ本質に目を向けられないのだろうか

人はなぜ物語から力をもらうのだろうか


僕の先週のブログタイトルを書き直すとおそらくこうなる。

人が人であることを考えるとき、そこには不思議や不条理が溢れている。

それが「人らしさ」であることを批判する気もないけれど、やはり僕は問いを起こしていきたい。


それは僕が人であることの意味だからね。


(月)人ありきか仕事ありきか
僕が研究会の報告を聞きながら昔の問いを思い起こしたのは、もしかしたら同じ要素があるのかもしれないね。

(火)人に残されるもの
きっと、今もそしてこれからも僕たちに残されているのは、自律し意味をうみだすことだけなのだろう。

(水)「あるべき」で周回遅れになっていく日本
「あるべき」に拘って周回遅れを招いていながら、生産性が低いと社会や組織の構成員を評価して個人の責任に転嫁する、これが周回遅れの本質でありそれを主導している人たちが社会や組織の中核に居座る限り、僕たちの国や会社が周回遅れを脱して世界の先頭には追いつき追い越すことはないのかもしれないね。

(木)ボケとツッコミが悲劇の東京オリンピック
漫才を、ボケが冗談を言ってツッコミがそれを指摘することで笑いを深める喜劇だとしたら、真剣にズレている事実を客観的に指摘している現状の東京オリンピックはもはや悲劇でしかないのかもしれない。

(金)ミャンマー戦とLGBT法案にイノベーションを憂う花金
この潜在化している苦難を僕たちはどう乗り越えイノベーションを起こせるのか、憂う花金なのだ。

(土)物語はなぜ僕たちの生きる力を強めるのだろうか
ひょっとしたら物語ることなく生きる意味を果たしてしまっているのではないだろうか、それは僕の素朴な問いだ。


人であること