2023年12月4日月曜日

より良く生きる高齢化という危機を招いているものの正体

 高齢者を目の当たりにしていると、老化の進行が人生に与える影響を憂慮せざるを得なくなる。身体の衰えは気力の衰えを呼び、自立の危機を招く。こういった悪循環の最たるものが認知症傾向である。シンプルに言うならば看過出来ない適応不全が生じるため、周囲がそのギャップを気遣わなくてはならなくなるのだ、しかしいきなりそうなるわけではない、身体機能の衰退、脳の高次脳機能の衰えなどからはじまり、それらの小さな衰えが、自立した社会の一員としての足場を崩して介護を必要とする一員となっていく。現代の日本はそういった人にも手厚い社会的支援が整っている、もちろん完ぺきでは無いが。私は病気の後遺症で介護を必要とする身になったが、介護を受けるからと言って人生が終わるわけではないから、幸せな人生を生きるために人生をより良くしていかなければならない。それは高齢者も同じである。デイケアの利用者を観ていると人生をより良くするために来所していることはよくわかる。しかし、より良く生きるためにはどうすれば良いのか理解は十分で無いように思える。出来ないことが増えるすなわちよりよく生きられないという素朴理論に私たちはいつのまにか毒されているのだ、出来ないことが増えても、生きているという事は出来ることは残されていることでもある。その出来ることを使ってより良く生きれば良いのだ。でも、これは高齢者や障碍者に限った話ではない。私たちは小さい時から出来ないことを減らして出来ることを増やそう、それが成長だと叩き込まれてきている、だから、老化が恐怖なのだ、しかし、より良く生きている高齢者や障害者を観るに出来ないという事実に縛られず、出来ることその場を充実させている。

よく考えれば健常者であってもなんでもできる訳じゃない。なんでも出来る人などは居ないのだ。社会とは出来ない者同士が支え合う仕組みであるとも言えるのかもしれない。ひょっとしたら今日の社会は、成長自立最適化という価値観が強すぎるために、高齢化という人生の一部を危機に陥らせているのかもしれないね。

老化や障害は陰じゃなく人生の一部である。