格差が生む学力の差
ドイツの学力テストの結果、これまでにないほど学力が下がっていたというドイツのニュースを観たその原因は、移民などの形で流入した貧困層の学力が低いためだと分析していた。こういった、成育における貧困といった環境が学力や、将来の社会的富裕との間に相関するという研究は数多くある。経験の量がちがってくるのだという研究もある。この、状況論的結論は間違いでは無いだろうが、解決しようとすると社会そのものを変えなくてはならないという大きな問題になってしまう。社会は人と人のつながりが局所的にアトラクターを形成しながらマクロの大域的アトラクターを形成する、自己組織化した、散逸構造であるとすると、小さな変革が大きな変革を呼び起こす可能性は無くは無いがマクロ全体を意図的にデザインすることは定義的に不可能であるという帰結に至る。あるべき姿としては、環境に依存することなく、その人が本来あるべき姿で生きられることであろう、しかしあるべき姿の連立しない二次元方程式になって、解は無いことになってしまう。社会のあるべき姿と個人のあるべき姿は共存すべき解である。さて不良設定問題を解決するには良設定にする必要がある。そのためにはスレービング原理に則って、ミクロ(個人)の問題を解くべきである。そして、マクロの秩序がミクロの秩序にスレービングするのを期待するのだ。となると、解は常に個人の中にあることになる。
社会のあるべき姿は個人のあるべき姿の中にあるのだ。
