哲学者アルヴェ・ノエの問いかけだそうです。
(「野生の知能」ルイーズ・バレット著より)
私たちがダンスをしているとき、ダンスは行為であって所有物や置かれている状態ではありませんから、鞄の中や場所を探しても見つからない、つまり、問いかけ自体が無意味である、同様に「意識」も行為であり「ある」ものではない、というのがノエの自説です。
ややこしくて難し話ですが、確かにダンスを行っているとき、「私たちは自分の動作をその時々の環境に合わせて調整している」(「野生の知能」より引用)のであって、頭の中に「ある」ものとは理解していません。
一方で「意識」は頭の中に当然「ある」ものとして取り扱われます。しかし、実際はダンスと同じで環境とであるという説は興味深いものです。
この哲学の思索を借りて新たに問いかけをしてみると面白そうです。
仕事はどこにある?
私たちは、仕事においてもダンス同様、「自分の動作をその時々の環境に合わせて調整している」ことに疑いはありません。仕事とは行為であって、環境から切り離した「仕事」は「ない」のです。ところが、「仕事」を考える時、自分の頭の中にあって自律的に制御している、もしくは、所有物、または置かれた状況として取り扱われます。
キャリア、職種、業種、企業など「仕事」が「ある」ように見えるのはなぜでしょう。
それは、行為を傍観しているからでしょう。
であれば、行為と行為を傍観する行為(あぁ、ややこしい)はちゃんと分けるべきでしょう。
「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」
仕事はどこにある?
この問いかけに、阿波踊りの”よしこの”が答えてくれているのかもしれません。
傍観する行為を本当の行為だと思うと大損するようですよ。(特に就活生諸君!)
さ、仕事しよっと。
踊ろう!
