まず、公立の学校で、見た目で人を判断する事がまかり通っていることに愕然とした。
学校という組織の規律を守る為に行っているのだろうけど、生まれ持った個性を教師が疑っているのだと知ったとき生徒はどう感じるのだろうか。
教師、学校への反感もあるだろうし、規律を守れない生徒に対する悪い感情もあるだろう。
また、何も感じない生徒もいるだろう。
さて、この問題の本質は、社会には人を見た目で判断するバイアスが広く受け入れられていることにあると思う。
要するに「有り得ること」なのだ。
認知バイアスは、生き物が情報を素早く判断し、行動を正もしくは負の方向に強化するうえで重要な役割を果たしている。
そして、脳は環境と行動を中継ぎすると共に、意識を生み出すことで新たな行動の選択肢を増やす役割を果たしている。
生き物として見た目で判断することは変えられないけど、判断する内容は変えられる可能性があるのだ。
この観点で地毛証明書の問題を見ると、良識と学習に長けていると思われる都立高校において6割のマジョリティーが見た目の判断を正の方向に強化している、それは、学校だけでなくおそらく、生徒とその保護者も含めてのマジョリティーである事に注目したくなる。
つまり社会性という同調圧力は意識の力を借りて選択肢を増やさない方向に機能しているんじゃないのかな。
思考を停止させることよりもさらに踏み込んで選択肢を増やさない思考(積極的同調)を促しているとも言えるかもしれない。
僕は、教育が人の視界を広げ、内面を深め、より良い選択肢を増やすものであって欲しい。
もちろん結果として間違いや失敗もあって良い。
で、ね。地毛証明書といった個性への偏見を強化する方向とは違う選択肢が増えてくれると嬉しいね。
選択肢が増える世界