1つは予告や宣伝の長さだ。
本編が始まる前に封切りの予告や宣伝を行うことは上映に向けて観客の準備を整える、論理的解決策だと思う。
暗い館内で我先に着席を急げば思わぬ事故も起きるだろう。
観客が落ち着いて映画を観るためには一定の長さのリードタイムが必要なことは疑いないのだけど、一方で、一定の長さが多様な観衆にとって合理的に定まっているかは甚だ疑問だ。
少なくとも僕には長すぎる。
さて、もう一つの疑問がエンドロールと呼ばれる終幕後のセレモニーである。
スクリーン下から上へとロールアップする役割と名前、BGM音楽によって構成されるこのセレモニーは作品作りに関わった人々への敬意を表しているのかもしれない。
多くの人の力で成り立つ映画という娯楽作品の象徴とも言えるのだろう。
しかし、今日、バリューチェーンが当たり前になり、社会全体がネットワーク化され商品やサービスが多くの人の手を通じて持続的に供給される中で重要なのはトレーザビリティ、つまり追跡可能性だ。
それは、知りたい人、知る必要のある人がしっかりと情報を確認できれば良いのであって、全ての情報を添付することじゃない。
要するに、僕たちは貢献に関する情報も自由に選択したいのだ。
でもね。これからも長い予告とエンドロールに付き合い、ポップコーンを食べながら大勢で観るのが映画館で映画を楽しむスタイルなのだ、と言われるのであれば大人しく座っています。
座ってるよ