よく知られているのが、卵が先か、鶏が先か、と言う議論だね。
生命の継続性を考えると生物は徐々に進化を遂げているので始点を定めるのは思うほど優しく無い。
カオスの淵にある生命は、時に偶有性を持って姿を変えて行く。
そして環境という共犯者を得てまるで意志が存在するかのように淘汰が起きる。
そう言った複雑性を考えるときにどちらが先かと問うのは愚問であることがわかってくるよね。
愚問は頭を悪くするのでやめたほうが良い(大村はまさん)。
さて、パーソナリティと経験、それぞれにある偶有性と環境の存在を考えた時、どちらが最初でも良いのだ。
パーソナリティが経験を呼び込むのか、経験がパーソナリティを形成するのか、ではなく、自分も自分以外も自己定義を更新していく。
自分は卵でもあり、鶏でもある。
自分の成長にとって都合の良い方を選べば良いのだろう。
どっちも先だし、どっちも後だ