飲食店業界でいまだに炎上する「あ、水でいいです」問題について
飲食事業を行なっている人にとって、飲んだり食べたりせずに場所を占拠するなんて有りえない行為だよね。
ルールだけでなく常識も欠如しているし、「不法占拠」と書けばもはや犯罪にも近い。
などと呆れながら読んでいたら、文中に出て来た『お店は公共施設ではない』という一文に目が止まった。
先日、法政大学長岡ゼミのカフェゼミに参加したのだけど、「公」と「私」の間にある「共」について話が及んでいた。(長岡先生、ありがとうございます!)
「公」とは公益志向、利他主義で公益、公助、公有地であるのに対して、「私」は利益志向、利己主義で私益、自助、私有地、そしてその中間に位置する「共」が共益、互助、共有地である。
そして、「公」「私」各領域への過剰な依存と「公」的、「私」的サービスの増殖により「共独自の領域の消失」(恩田 2006)が起きている。
つまり僕たちが社会を営むうえで必要としている互助や共有地などは強制的、もしくは自主的に「公」か「私」に併合され消滅してしまったのかもしれない。
このように考えると、『お店は公共施設ではない』という叫びからは異なる世界が見えて来た。
いつの時代でも「共」を必要としている僕たちが、「共」が消失した今日、自分の都合で「公」と「私」から「共」を捻出している世界だ。
「公」も「私」も時に「共」のように振る舞ったりするからさらに複雑になる。
助成金が目当にされる企業、個人向けの公的支援制度や、商業施設にあるフードコートなどがその例だろう。
公私のけじめがつかない人は不正受給をやめないし、混雑しているフードコートで飲食せずに打ち合わせをする。
だって「共」(互助)だものとどこかで思っているからいけないことをしている感覚も無い。
一方、飲食店は「私」であって「公」じゃないけど時には「共」(皆のための場所として認識されること)になりたい。
おそらく僕たちの店として集まってくれる常連客は要らないと考える店舗はないだろう。
「私」を都合よく「共」と曲解し甘える客と、「私」を「公」ではないけど都合よく「共」と装いたい店という込み入った関係性が考えられるのかもしれない。
だとするとこの問題の本質課題は、僕たちが失った「共」探しにあるのだ。
飲みなはれ