2022年4月27日水曜日

ものまねの遺伝子と発想力の弱さ

 普通紙コピー機とかピアノとかカメラなど、今では日本の十八番になっている製品には共通点がある。それは日本がオリジナルを作ったものでは無いことだ。元になる製品はアメリカやヨーロッパで発案、製造され、それを、日本人が真似して作ったのである。日本人の優れているところは、オリジナルを凌駕してしまうほどのクオリティを出せるところである。それによって日本人はすぐ真似してずるいと忌み嫌われたこともある。パナソニックの創業者松下幸之助などはこの手の天才だよね。他社の製品を安く大量に真似て作って、日本中津々浦々に構築した販売網で売って事業を大きくした。コトラーの競争戦略で、言えばチャレンジャーに徹するということだね。ランチェスターの戦略で言えば弱者が取るべき戦略を実践したと、言えるのかもしれません。しかし市場のイノベーターと言えないことは明らかである。頭の体操の著者多湖輝氏は、閉塞した社会を打開するのには発想が重要だと説いた日本は新奇性の発想よりも効率的な作り方や普及させる発想に長けているのかもしれない。それゆえ、新しい商品カテゴリーは生み出せずに製造や、販売で市場を抑えられてしまったら打つ手が、無くなってしまった.そうなってはじめて発想の貧困さに気づいたのだ。新規事業の分析を行った研究者は新規事業がうまくいくかどうかはアイデアよりも周囲の巻き込み力であるという結果に至っていたけど。きっとそれが発想が苦手なのが日本人ということなのかもしれない。社会的にも発想がそもそも苦手なので発想は良いことであると受け止められない背景があるのかもしれない。新しい発想に期待するより批判的に見下す人の方が社会的に多い気がするよね。SNSとか見ていてもそんな印象が強い。先日、政府がスマホの主要なOSがアップルとグーグルで寡占されていることを危惧しているという記事が出ていたけどそういった議論は昔からあって、対抗するためにtronという国産OSの開発を推進していたはずである。TRONとほぼ平行して語られていたユビキタス社会はスマートフォンの出現によりあっさりと実現されてしまった。この場合の問題点は発想の先進性よりも一般消費者が望むプロダクトと未来像を見せられなかったことである。人を惹きつける発想やそもそも発想に惹きつけられない国民性が本質的課題なのかもしれない、日本人が惹きつけられるのは誰もが使ってるとかアメリカ人は使っているといった周囲の空気感なのである。日本人はもっと、自ら発想する本来的な態度を習慣化するべきでそれは多湖輝氏が1960年に頭の体操を出版したころからずっと変わっていない課題であるかもしれない。折しも時代はユビキタス社会からメタバース社会に突入した僕たちはまさに自らの認識で世界を変えていく本来的存在としての発想力で闘う時代が到来したのだ


メタバースへ