2022年4月23日土曜日

批判と実践

 批判とは他者の言動に対してあるべき姿などから指摘を行うことである指摘を行った当事者としての責任はとわれるけど、批判の対象となった言動においては責任を負っていない。

もちろん当事者でなければ批判してはいけないことはない。批判は社会的な言動を健全に保つ役割を果たす。しかし当事者でないが故に言動の背景は理解できていないしかし言動には必ず背景があるものだ背景を知らずしてあるべきを語るのは無責任の極みでもある。昨日もある高校のサッカー部で暴行の疑いが起こりSNSが炎上したそうだ。しかも暴行された生徒、SNSに投稿した生徒が謝罪する展開となりさらに炎上しているらしいその報道やネットニュースを観た人はまたそれぞれに批判を行うそれが炎上の正体である。批判をしている人たちは恐らく皆当事者ではない。これはロシアのウクライナ侵略戦争も同じで、橋下氏とか鳩山氏はまったくの部外者という立場から無責任な発言を繰り返した、著名人のそういう態度がハイデガー言うところの世人にも影響を与えて批判という行為を正当化するのだ、何かを批判するときはその矛先を必ず自分にも向ける必要があるだろう。当事者にはなれないけど当事者の立場に自分の身を置いてみることはできるはずだ、自分も実践者として同じ立場に立つことが真摯な態度と言えるのでは無いだろうか。批判的視点は社会の公正化にとって重要だけど行き過ぎると社会にとって害となることをはからずしもSNSが教えてくれたわけだよね。言うは易し正しく行うは難しの人間理解自己理解が大切と言うことだよね。

批判させないのは悪