デイケアでいつもとなりの席にいたご婦人と最近お会いしていない。ご本人は年齢含め自分の、ことをあまり話されないので、勝手に僕は彼女をアンタッチャブルとか呼んでいた。
お年もわからなかったのだけど結構なご高齢だったらしく、身体が弱って入院されたのだそうだ。
寂しいけど、もう、デイケアで会うことも無いのかもしれない。
僕の左側に座って、麻痺した僕の左手を優しく触ってくれていた日々が無性に懐かしくなって不意に悲しくなった。
僕は色々あってほぼ縁を切るような形で、母親と別れてしまい、最後に会ったのは亡くなる直前のベッドの上だった。
だからボケて老いた母親の日常を知らない親不孝者だ。まさに僕にとって母の老後はアンタッチャブルだった
さて、どうやらデイケアのアンタッチャブルは生きていれば僕の母親と同じくらいのお年頃なのかもしれない。
そう思ったら何故だか急に彼女の手が母親の手のように思えてきた。
デイケアが終わって帰る際に、またねと言って優しく僕の手をとってくれた、その際いつも僕の手が温かいことに感激し、自分の手が冷たいことを申し訳なさそうにしていたちょっとした触れ合いが妙に懐かしく思い出されてならない。
きっとあの世に渡った母がアンタッチャブルの手を借りて僕に触れていたのだろう。急にそんな風に思った。
そのマザコンライフから自分の自立した人生を、取り戻すために意を決して母親と距離をおいたのだけど。
もし母親が生きていたら僕の脳卒中を見てたいそう心配し僕の麻痺した左手に触れてくれたに違いないなんて思ってしまう。
俺はどんだけマザコンなんや。
結局今もって僕はマザコンから卒業出来ていなのかもしれない。
後遺症の要介護で思わずデイケアという高齢者の輪の中に入ってみると亡くなった父親や母親はの面影を探している自分に気がつく。
よく昔の長屋では、分け隔てなく皆で子供を育てたらしいけど、原始コミュニティの姿とは誰も異物化しないつながりのある社会だったのかもしれないね。
つまり子供も老人もみんなが共有するコミュニティである。しかし家に帰ってくればそこには老人は居ない、マンションの他の部屋の住人と触れ合うこともないまさに閉ざされ分断されたアンタッチャブルな日常があるだけだ。
今僕に出来ることは、不自由になり感覚も鈍った左手にかすかに残るアンタッチャブルの優しい手の感触を思い起こしながら元気で居られることを祈ることだけだ。
