2014年4月18日金曜日

自らの学びと学びの場を作る責任に思う

東大中原准教授の視点にはいつもハッとさせられるのですが、今日、思い起こしたのが以下のエントリーです。

「経営層が学ぶ」とはどういうことか?:自分「だけ」学ぶのは学びではない!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2014/03/post_2191.html

E.シャインは組織における学習とは強制的説得であり苦痛を伴うもの(Harvard Business Review2003.3)との述べていますが、不安や不快さの中に気づきがあることは間違いないようです。

先日、とある会社の社長に調査結果通じた報告を行った際、自らの施策を否定される内容に不快感を露にされていました。しかしながら、後日談として、調査実施部門に対して社長から諸々の相談があったそうです。

この気持ち、とても良くわかります。

何が言いたいのかと言うと、自分のことも振り返るに、「経営層の学びには心地悪さが必ずある」ということです。つまり、経営者が楽しく感じるのであれば、それは「学び」でない可能性が高いと思うのです。

脳科学において、人は自分のことを話すと快楽を感じることがわかっているようですので、まず、「私は学んでいます」系の話しを始めた段階でもう、かなりアウトな感じです。

本を読んでいても、本当に学ぶ瞬間って「あ、そうすればいいんだ」と感じる時よりも「あー、自分はなんて無知だったんだ…」と感じたときでしょう。

自社の学習環境(であるはずの会議など)で、役員が率先して気分よくも悪くも学びの自説を展開するという愚行には学びの欠片もありません。そしてそれはとても残念な事実です。


春の欠片