野球チームの組織では、選手とGM(ゼネラル・マネージャー)と監督・コーチ陣の三層でそれぞれの機能、役割が明快です。
「名選手、名監督にあらず」という言葉がありますが、選手と監督の動きが異なることは明白です。
営業職では、コンピテンシー(活躍のための行動習慣)が直線的なので、優秀な営業マンが良いリーダーになる確率はかなり高いのですが、マネジャーとなるとはやり話が違うようです。
なぜなら、マネジャーは経営の機能も実現しなけばならないからです。
自らがバットを振るのでなく、誰にバットを振らせるのか、ボールを投げさせるのか決め試合を勝つことが仕事です。グランドに送り出す選手を育てる必要もあります。
ところが、選手が選手の延長で監督を行ってしまうと、自分を同じように投げたり打ったりすることをとかの選手に求めてしまいます。また、選手と一緒に何故、打てないのか、どうしたら打てるのかと悩み始めるので勝つために何をするのかというもっとも重要な視点が疎かになりがちです。
産業組織でもこのような状況はよく見られます。
そして、そのような状況の行き着く先は、先行きの不透明さです。
功労賞的登用が行われる組織の停滞はそこに大きな原因があります。
経営のハンドリングが企業間競争の勝ち負けへの影響性が大きくなればなるほど、マネジャーの専門性と活動性は重要です。
業況が芳しくない場合、マネジャーの見直しは最優先課題ですが、年功色を残す日本の組織では思うように進んでいません。
一方、活力があり、活き活きとした組織では、マネジャーの代謝が頻繁に起こっています。マネジャー層が常に躍動する環境を整えているのです。
躍動しなきゃね
