今日のお昼は何にしようか、このデータはどう解釈しようかなどなど、数えていたら切りがないのは僕だけではないとね、きっと。
昔、”ソクラテスもプラトンもニーチェもサルトルも悩んで大きくなった”って野坂昭如さんが歌ってたけど、人生には悩みよりもっと浅い混沌の方が何百倍、何千倍も多いんじゃないかな。
最近思うのだけど、迷いにも2種類ありそうだ。
一つは、霧に包まれるような迷い。「ホワイトアウト」っていう映画みたいに感覚が効かなくて立ち往生する感じ。あまり動き回らずにじっと霧が晴れるのを待つのが安全策ではあるけど結構辛いものだ。
もう一つが、行くてを阻まれている迷い。迷路を歩いている時みたいに感覚はバッチリあるけど、解決策が見つからない。上空から俯瞰すればあっという間に出口にたどり着けるのだから飛べる羽根が欲しくなるよね。要は自分の力不足からくる迷いだ。
感じられない迷いと、力不足からくる迷い。
この2つの共通点は、「身体性」だと思う。
つまり、脳が無意識に答えを出すには、身体知が無いとダメなんだね。
会社でお昼が決められなくても食べ物の匂いがあればパッと決められるでしょ。データだって物事や特定の人と紐付いていれば自ずと答えが出てくる。
これらは、いずれも身体を通して知っていることなんだ。
だから進路や就職で迷うのは当たり前ってことだ。
インターンシップやOB訪問などでちょっとは触れることが出来るかもしれないけど、身体知にはほど遠い。
だから迷うわけだね。
身体知のある人にとってその感覚はわからないから物足りないとなるのだろうけど相手のことがわからない不幸がそこにある。
結局、身体知が無くて脳が右往左往する、それが迷いの正体なのかもしれない。
月と鴎
