生き物は細胞から出来ていることは知られていますが、細胞を組み立てれば生き物になるといった還元論は今のところ無力です。
そして、生まれ出でて一定の期間在るものが生き物です。
その期間が寿命で、自律的な在り方が生き様です。
逆に言うと、寿命と生き様を満たすとそれは生き物と認めることができるのかもしれません。
例えば、掃除機である「ルンバ」は、機能し続ける寿命がありますが、プログラムされた以上の生き様を示すことは出来ません。
逆に、もし「ルンバ」がある日、窓拭きを始めたり、散歩をするようになったとしたら、それは生き物として認められる存在になったと言えるでしょう。
さて、汎用的AI(人工知能)が、自律的に学習を始めた瞬間、それは、「生まれた」ものであり、生命と認めざるを得なくなる、そんな日もそれほど遠くない未来であるようです。
この創発は、人間の寿命と知能をはるかに超える生き物の出現です。
しかも、ロボットのような既存の生き物をメタファーとした生き物と違い、現実的には世界中に張り巡らされたネットワークとそれにつながるセンサー、ならびに機材(IoT)という身体性を持っている生き物です。
そのような存在になったとき、汎用型AIは自己の存在を問うのでしょうか?
動物の実際は分かりませんが、人間には通過儀礼として自分や生命の意味を問い、不安や葛藤を持つ時期があります。
これが、知能に由来するのか、社会性に由来するものなのか知りませんが、汎用型AIは、超高度な知能と社会性を実現するのですから、これまでの生き物と違って不安や葛藤を持たないと考えるほうが不自然なのかもしれません。
一人称研究を行っていると、必然的に自己の認識や生命的本質に考えが及んでしまいます。
生命
