そこには我が家の15歳を迎えた愛犬が大きな鍵となっています。
家族の一員である彼は、1日2回の食事と、外出時のトイレが習慣になっています。高齢もあるので無理が効きません。
また、老いは隠せないものの幸い、足腰は元気ですから充分な散歩によるストレス発散も大切です。
さて、彼の面倒を見るということは、そこに生活リズムを合わせる必要が出てきます。
会社の取締役として責任を負う一方、優秀な社員たちが日々の業務を確実に廻してくれているので可能ではありますが、これを、日々の業務を支える側に置き換えると問題が急激に大きくなります。
実際にこの大きな問題に直面しているのが、子育てと介護をおこなっている就労者です。
そして、その問題が広く認知されるなかで解決が遅々として進まないのも事実です。
記憶に新しいところでは「保育園落ちた日本死ね」というブログがありましたが、少なくない政治家がこのブログに対して懐疑的な態度をとったことは大きな驚きでした。
実は、このような問題は、障がい者の子供がいる家庭なども含め、決して特異なことではありません。
障がい者であった兄(故人)を支える親、結構大きくなっていましたが独りでの9ヶ月の子育て、そして高齢の愛犬と、親の介護以外は少しだけ経験をしているのですが、この問題の本質は、1.やりがいや苦労は向き合っている本人にしかわからない、2.その時におこる固有性と時限性が問題を複雑にしている というところにあるように思います。
つまり、備えることが難しく、その場に応じて如何に柔軟かつ的確に思考、行動、そして感情をコントロール出来るかが問われるため、代替性が低く対案が限られてしまう、場合によっては対案が無いのです。
当事者でない人は解決が困難な問題を目の前にすると、あきらめるか、責任を転嫁するかいづれかの態度をとります。それは、ある意味自然なことだと思います。
しかし、そのような態度が強く現れる根源には、産業社会特有の、仕事におけるやさしさの欠如があるのではないでしょうか。「仕事とは難しく厳しいものである」という前提です。
明日、雨だとさ・・・
