アドラーは、刺激と反応によってこころのありかと働きを科学的に理解しようとした行動主義的な心理学と一線を画して、個人を主体性で分割不能のホリスティックな社会的存在として捉えているのが特徴です。
その中で、人の期待を満たすために生きてはいけない、という観点から展開した「嫌われる勇気」であるようです。
さて、仕事場面では、相手の期待に応えて好かれるか、相手に強く差し込んで嫌われるか(かもしれない)というジレンマが結構あります。
例えば、営業場面における予算や決済がそれです。
顧客を目の前にして、「少しでも安く予算をあげたい」という期待に応えるのか、ズバリ相手の決裁可能な金額を聞き出して取引を掌握しようとするのかは大切な判断です。(上手なお客さんは、先に予算を告げることで相手を掌握しようとしますね)
相手に遠慮する気持ちがあるとなかなか差し込むことはできませんが、実は、嫌われたくないという気持ちがどこかで働いているのかもしれません。
一方、図々しく差し込みばかりする営業マンは嫌われます。
そこで優秀な営業マンは何をするのかと言えば、期待にも応えるし、鋭く差しもする、要するに両方行っています。
これは営業マンに限りません。
以前、人事の責任者から「問題社員の面談ではタイミングを見て豹変(「相手に合わせる」から「相手を詰める」)する」という話を聞いたことがありますがこれも両方行う良い例でしょう。
それらの人に共通するのは、ジレンマで二者択一をするのでなく、ジレンマを統合した存在であるということでしょう。
嫌われてもいい?
