まだまだ、考えきれていませんが、3回目はちょっと目先を変えて「趣味」と「遊び」を考えます。
最初に触れたように、「内在する報酬に動機づけられる」という点において「趣味」と「遊び」には類似性が認められます。
では、人はなぜ遊ぶのでしょうか。
「遊び」には、「剰余エネルギー説」「本能説」「準備説」「反復説」「気晴らし説」などの古典理論と「般化説」「代償説」「浄化説」「精神分析説」「発達説」「学習説」などの近代理論がある。M.J.エリス(1973)
要するに、人がなぜ遊ぶのかは、諸説があってはっきりわかっていないのです。
その原因の一つは、因果関係が見えないことでしょう。
「遊び」は行為自体に意味があるため、行為の観察はできますが何が成果なのか不明瞭です。
例えば、行き先も無いのにいきなり走り出した場合、何のために行なっているのか、わかりにくいですね。ゆえに、本能だ、気晴らしだ、浄化だとなります。
一方、「趣味」は、行為だけでなく、成果も明らかなことが多くあります。
ランニングが「趣味」の場合、週に何回とか、何Km走るとか、何分で走ったとか成果として語れるものが間違いなくあるでしょう。
つまり、「趣味」はどこかの段階で、目的を達するための行為となっているのです。
したがって、「趣味」は、初対面の人との会話のきっかけや履歴書への記載などで人となりを知る手掛かりとなります。
興味、関心の所在と人生において大切にしてきた目的がわかるからです。
意味があること