2022年9月24日土曜日

不自由になって感じるマルチモーダルに生きると言うこと

僕は脳卒中で身体が不自由になったことで気がついたことがたくさんある。僕にとっての最悪の出来事脳出血が最高の経験に変わりはじめているのかもしれないね。不自由と生きることに関しては、2014年に行った三鷹の天命反転住宅で考えたことがある

それ芸術家であり建築家の荒川修作が死ぬという天命を反転させるための死なないための住宅なのである。

ブログにも書いている

数式と神託 反転する自己と世界のものがたり

それは画一化され効率的に便利さを追求した住宅への強烈なアンチテーゼでもあるけど、僕の場合は住宅が不自由になったわけじゃなく身体が不自由になった病気で退化してしまったわけだね。しかし画一化利便性が住む暮らす本来の意味を失わせているという着眼は重要だと思う。先日のオープンコミュニケーションシンポジウムでも研究報告があったけど、コロナの影響で、行われたzoom漫才で、漫才師はzoomの遅延という不便さを調整してリモート漫才を行った。そう僕たちは不便さに抗うことで進化するのだ。今の僕はまさにこういった進化を日々実感しながら暮らしている。そう、生きているのだ。僕は脳出血によって死ぬという天命を反転させたのである。そして不便さを感じるほど僕は全ての感覚を研ぎ澄ませてマルチモーダルな生命になっていくのだ。