僕が複雑系を勉強したのは40歳の時だ、何冊も本を読んでその考え方や科学に感服したものである。
スチュアート カウフマンの自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 をよんで僕は以下のキーワードをピックアップしている
システム
自由度
ハイゼンベルグ 不確定性原理
隣接可能領域と小さい領域に閉じ込められている非エルゴート的現実の進化
仕事空間=現存領域+隣接可能領域
細胞は未臨界状態にある
マンフレッド・アイゲンとピーター・シュスターによる「エラーによる崩壊」
適応度の高度を登っていく変異率がある点を契機に崩れ落ちるようになる
ブール代数的ネットワーク
疎通関数
ある状態の変化が他の状態の変化となる場合、疎通入力という
ある状態のネットワーク数Kが2より多くなるとネットワークはカオス的に振舞うが遺伝子は疎通入力を大きくすることでカオスの縁にネットワークを維持してきた。
ネットワークを秩序~カオスに導くパラメーター
K(ネットワークの入力数)K=2以上でカオス
P(多数派の数/全ての数)K>2でP=0.5以上においてカオスの縁が現れる
疎通ブール関数(他のすべての入力値に影響されずに次の状態を保証する入力を持つ関数)
レゴブロック
技術グラフと分岐点
ジョブショップ問題
ノルマが高くなると達成可能な解の数が激減する。
問題の構造を向上させるためには、対立する諸制約条件をゆるめ、効率において問題が生存可能状況にあるようにする必要がある。
入れ替え可能な手順の割合が増加するにつれて相反する制約条件は減少する。効率地形全体が持ち上げれら山頂は高くなり制約条件の減った地形は全体としてより平らになる。結果、浸透する解のネットワークがより高い効率に対するノルマでも実現できるようになる。
習熟曲線
べき乗則
経路和
干渉性の消失「デコヒーレンス」
NKモデルで適応性の高所が
そしてそのうえで20歳の頃大学のゼミで手にしたマッキーヴァーのコミュニティという古典を再び手にしてはその著作のなかで更に「コミュニティは、本来的に自らの内部から発し(自己の作る法則の規定する諸条件のもとに)、活発かつ自発的で自由に相互に関係し合い、社会的統一体の複雑な網を自己のために織りなすところの人間存在の共同生活のことである」と指摘している。また「意志と意志の間の無数の関係の全体系」とも表現しているを目にした時、秩序とネットワーク、ああ、コミュニティも複雑系なのだなと理解した。僕達人間は思考という行為を通じて仮想的に物事を組み立てることが出来るデザインだ、しかし現実は僕たちのデザインをはるかに超えて複雑な様相を見せるこの、思考と現実の不思議な実態に迫りたいと考えたのがこのデザインと創発というブログなのである、そして思考や感情・心理もそもそも複雑系なのかもしれないと考え認知科学の門を叩いているのが現状だ。複雑系に惹かれて早20年経った、その間、組織と人の心理をずっと仕事にしてきたけどそれは言い換えればコミュニティを複雑系でずっと考え続けてきたことになる。僕は部活にしても趣味にしても散漫であまり長続きする性格ではないと劣等感を抱いてきた、しかしこのブログが10年近く続いていること大学時代のテーマを今も抱いていることを考えると実際の僕は結構執念深い性格なのかもしれないね、デザインの観点からは複雑系というのも科学の中の1つの立場(要素)でしかない。その要素が僕の思考の中でなぜ信念として結晶化したのかはよくわからないけど、僕達は、自分の中で結晶化した信念で物事を認知しデザインするんだよね。でも、信念は人によって違うものだから、マッキーヴァーの定義に則ればコミュニティとはまさに信念のるつぼと言い換えられるのかもしれないね。でもそれはまさに自然の姿だよね。格好良く言い換えれば僕はずっと自然に立ち返って学ぼうとしているのである。(格好つけすぎや)