近代化とは、人間が自分を不変の存在、すなわち情報であると勘違いしたことでもあるのです。それ以来、実は人間は「死ねない」存在になってきました。これが近代特有の意識であることは昔の文学を読めばわかります。『平家物語』や『方丈記』など、中世の日本文学に代表される思想というのは、人間は移り変わるものだ、という考え方だったのです
養老孟司. 死の壁(新潮新書) (「壁」シリーズ) (Japanese Edition) (p.22). 新潮社. Kindle 版.
養老孟司氏のこの指摘を端的に理解するために近代化の典型と昔の文学を見比べてみよう。
近代化の典型例
死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)田坂広志 (著)
平家物語「祇園精舎」
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ
方丈記 鴨長明
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ
最先端の科学理論という近代化の思想はいみじくも人生ものどこかに記述された情報であるのだから不滅だとしているのに対して、中世の思想ひとへに風の前の塵であるとする。
いずれも思想だから正解は無い。いやどちらも正解なのである。
臨死体験を追った立花隆さんのインタビューでの答えは明快だ。
いやいや、死後の世界なんてない。ないです。あると思っている人は頭のどこかに欠陥がある。正しからざるものを正しいと信じ込もうとしているだけのことです。臨死体験については、人が死ぬ時に何が起きるのかという興味はありますけど、話を聞けば聞くほど、体験者自身が自分に起きたことを問い直してしまう。相当な部分が真偽不明になってきちゃうんです」
しかしながら不老不死や輪回再生にかける人間のエネルギーは凄まじく、ピラミッドを建ててしまったり宗教という形で多くの人々の思考や行動に影響を与え続けている。死後は信じなくても前生とか因縁とかを容易く信じる人は少なくない。科学においても、後天的な学習の結果が遺伝するとも言われるし生き物である以上世代交代を抜きに語ることが出来ないのも真理ではあるのだろう。
要は何を真実と捉えてどう振る舞うかは自由意志に委ねられているのだ。しかし社会とは全ての自由意志の最適化で成り立つべきものだから、自らの自由意志が誰かの自由意志を阻むべきではないとも言えるのでしょう。
