2023年4月27日木曜日

人工知能は分析と言えるのか。CHAT GPTに心は宿っていない。

 分析という行為は非常に人間的である。

認知できる情報を集めて。それらの操作を行なって知識を発見するものだ、定義的には物事を分解して物事を成立させている成分要素側面などを明らかにすることである。

しかし。認知できない成分要素側面に分解してもあまり意味はないでしょう。つまり分析とは認知可能なプロセスなのである。手順が見えないものは分析とは言えない。その論にあてはめれば人工知能と言われる機械学習では、結論に至る手順は見えない。ただ情報を集めて操作を行うからと言って即ち分析とは言えないのではないだろうか。

もちろん設定したパラメーターなどは見える

しかしそれに沿ってどう物事が分解され成分要素側面になったのかはわからないのだ。

出てくるのは計算結果であるそこに至る手順は見えないしそもそも僕たちには理解できないものだ。

例えば顔認識。

僕たちは過去の対面の記憶などを呼び起こして人物特定をするけど、機械学習では学習されたロジックに基づいてデータを照合して人物特定を行うそのロジックを僕たちは知ることも理解することも出来ない顔の画像を成立させている成分要素側面を何も明らかにしていないのだ。

機械学習の中ではきっと何がしかの特徴を捉えているのだろうけどね。分析とは成分要素側面を知ることで僕たちの認知や思考の仕組みを知ることである。

つまり分析とは結果を出すこともさることながら人が人の営みを知る思いを馳せることに大きな意味が潜んでいるのだと僕は思う。

最近なにかと話題の多い生成系AI。対話だけじゃなく、絵やイラストを出力したりする、これまで蓄積されたデータのもっともらしいところを切り継ぎしてまとめてくれるのだけど、一番肝心なところが抜けている、発話にしろ描写にしろ僕たちが行う時は相手に心を届けるということだ、まずは心の思うままに表現しそれを相手に届ける心を心で想うというのが僕たちの行っていることなのである。

科学とは自然の真理を解明することだけど、ひとの心に思いを馳せるという意味も決して小さくないだろう。だから分析は人間的な行為なのであるそれに対して機械的に答えを出すのは非人間的な行為だと言える。

人間的な行為とは他者の人間性をどこかで慮っている。僕たちは非人間的なものにふれるにつれて人間性を高めることがいかに大切かということに気づいてきた。

非人間的なものをテクノロジーと礼賛するのも良いけど人間性を見失った心の無い社会は悲惨なことになるに違いない