2013年3月19日火曜日

データ分析の難しさ

情報処理の分野は、ここ20年で飛躍的に成長しました。最近では、Smart化によって、インフラとネットワークが統合され、私たちの生活に様々な変化をもたらしています。

いつの間にか、私たちの身の回りにデータや、データの入出力を司るデバイスが溢れ、今までになかった量と質で、データを分析するチャンスを増やしています。

これまで、様々なデータを扱い分析してきましたが、最近、こんな気になる記事がありました。

Our brains can be logical and compassionate — just not at the same time
(我々の脳は、理と情を別々に叶える)

Our brains have two very important functions that tend to work quite well — just not simultaneously. It turns out that when we’re being analytical, the empathetic parts of our brain shuts down, and vice versa. 

http://updates.io9.com/post/34761671294/our-brains-can-be-logical-and-compassionate-just-not

分析をするために、分析手法を学んだり、ツールの操作を覚えることにそれほど難しさは感じていないのですが、分析結果の受け手に結果を理解してもらうこと、さらにはその結果を持って語る意見や柔らかい(学術的検証が為されていない)仮説に共感を得ることは難しいことであると思います。

特に、データの裏づけがあっても、創造的な(経験則の生きない)意見、仮説への共感を得ることは難しく感じます。
共感を生むケースは、① 受け手に分析のスキルが備わっている場合、② 受け手が創造的な資質を備えている場合、③ ①②無くても事前の信頼関係がある場合のいずれかもしくは組み合わせでしょう。①②③全てが揃っている場合・・・振り返ると、素晴らしいナレッジが生まれています。

前述の記事を参考に考えると、受け手は、①②③が無いと、まず、分析者もしくは分析結果の分析取り掛かります。
「この分析者、または分析結果の論理的合理性どこにあるのだろうか」
そこに共感は生まれないからなのかもしれません。

昔、「踊る大走査線」の映画の中で、青島刑事や主役たちが論より情(情熱、友情など)で描かれたのに対して、データ分析を担当する若者の情感が乏しい人達として演出されていました。
アナリスト(分析担当者)って大概、ちょっと冷たい感じに描かれますね。


ヒュンと走り去る