2013年3月25日月曜日

記憶は引き出すのではなく復元するもの

私は写真を撮っているのですが撮り溜めた写真を見返すとき不思議な感覚を持ちます。
何気ない日常の一枚と、桜が満開でそれは見事な千鳥ヶ淵での一枚の撮影時を思い出す記憶にあまり違いがないのです。

写真を撮ること自体、何か気になるものがあってシャッターを押しているので、強ち、何気ないとも言えないのですが、なんでこんなの撮ったのだろう?という写真も結構あります。

しかし、その写真を見るとそのときの状況や、空気感や、場合によっては匂いまで思い出すことが出来ます。ところが私は記憶力が良いわけではないので、どう考えても記憶を引き出しているように思えません。

さらに、撮り溜めた写真を時系列に、iPhotoでペラペラ漫画のようにめくっていくとそれこそ走馬灯のように記憶が蘇ります。

そうなんです、記憶は蘇るものなのです。

こう考えると、悲しい思い出が薄らいだり、物忘れをしたりするのは引き出す力でなく蘇る力が弱くなった、つまり復元する力の変化を意味していると言えるでしょう。この復元する力はゆらいでいて常に少しづつ変化しているように思います。

このようにブログを書いたり、写真を撮ったり、またはメモを取る事は復元の手掛かりをあちこちに残しておくようなもの。それであれば私でも頑張っていろいろ覚えようとしなくても済みます。あー良かった(笑)。

しばらくぶりに手掛かりに触れ記憶が蘇るとき、微妙に違和感を覚えるのは、かつての自分と今の自分のズレ(変化)なのかもしれませんね。


何気ない瞬間