2018年11月9日金曜日

銃とレジ袋 規制によって解決するコト、しないコト 

アメリカで銃乱射による事件が日常化している。

銃の所持か禁止されている日本からみれば、事件の予防には銃規制が一番効果的に思えるけど、アメリカ人の銃に対する思いや思惑はどうも僕たちとはだいぶ違うようだ。

先日、「女神の見えざる手」という映画を見たのだけど、この映画で扱われていた「銃規制法案」も映画の主題ではなく、映画を盛り上げるための素材であった。

さて、僕たちはそもそも何か問題が起こると規制によって解決しようとする思考が強いように思える。

例えば、僕が今、日々向き合っている企業のガバナンスに関しても、あれやこれやと規程がとても多い。

昔の銀行時代を思い起こすほどだ。

それだけでなく、自動車や自転車、喫煙、ゴミ出しなどなど、毎年どのくらいの規制が増えているのだろうか。

近いうちにレジ袋も規制の対象になるらしい。


「規制」は僕たちの社会性の象徴でもある。

社会性とは「我慢」することから始まるからね。

つまり、社会が高度になるほど「規制」は増えるのかもしれないってことだね。

一方、社会性が高まると個性や個人の権利は「利己的」に映るのかもしれない。

本来「利己的」であることで守られてきたは僕たちの遺伝的な「生命力」だ。(「利己的な遺伝子」リチャード・ドーキンス 1976)

この利己性と社会性のバランスの狭間に、銃もレジ袋も揺れて動いているのかもしれないね。


レジ袋萌えな犬