2016年3月11日金曜日

寒さが身にしみる3.11 身体の記憶を考える

今年も3月11日が来ました。

あの震災から5年です。


私が3.11の記憶として、身体の感覚として強く残っているのは「寒さ」です。

しかし、2012年3月11日にその身体の記憶はないので、震災という大きな出来事によって「寒さ」という感覚まで記憶に焼きついたものだと考えられます。

昔、親から子供の頃や戦時中、終戦のときの話を聞いたとき、そのときの暑さや寒さなどもいっしょに聞いていたことを思い出すに、人は出来事を単に記述として記憶しているわけではないことを気づきます。

痛そうな怪我の写真を見るとき、見ている人の脳は、ほんとうに痛みを感じているような反応をするそうですが、親は昔話をしながら、その時リアルに暑さ、寒さを感じていたのだと思います。


さて、5年前、女子サッカー、なでしこジャパンはW杯を初制覇し、日本を元気にしてくれました。

そのなでしこが、3.11を前にして残念ながら、オリンピック予選を勝ち抜くことが出来ませんでした。

これも何かの巡り会わせかもしれませんが、「うまくいかないのが人生だ」という落語の世界観がふと頭に浮かびました。成功や栄冠が一際強く輝くのは、苦難や失敗があるからこそとわかっていても「うまくいかない」ものです。


強い記憶が身体に焼きつくものであるならば、焼きついているのは良きにつけ悪しきにつけ、「うまくいかない人生」の中でも際立った瞬間であるようです。

しかし、記憶に対する評価は徐々に書き換えられていきます。

辛かった思い出も、場合によってはやがて良い教訓、経験へと意味づけされていきます。

身体に焼き付いている記憶と、その意味づけの変化に向き合うことから自分の変化、成長が見えてくるのかもしれません。


ミモザの季節