2017年2月5日日曜日

愛と哀しみの神保町クロニクル

僕たちは何を作り上げ、何を壊しているのだろう。 子供の頃、僕の劣等感を忘れさせてくれたのは神保町にあったマクドナルドのビックマックだった。 山の上ホテルに向かう坂道の途中、レコード店の並びにあった店はさながら隠れ家のように僕を救ってくれたのだ。 高度成長期、下町の問屋一家にとって中学受験は社会の階段を這い上がる手段であり選択になっていたし、進学教室なるものが子供の時間と心を奪っても気にする大人はいなかった。 やがて、僕にとって神保町は進学塾とマクドナルドの街から楽器の街に変わった。 1ドル300円なんていう冗談みたいな時代にGibsonやFenderといった高音のアメリカ文化を身近に見ることができる街に、だ。 もっともあの頃、借金をしてでも58年のレスポールを買っていれば、今頃、為替差益以上にたんまり儲かっていたのかもしれない。 目の前のお宝に気づけない僕の鈍感さは別にしても、神保町には宝物がたくさんある。 楽器もそうだけど、皆が知っているのは「本」だ。


紙にインクで文字を叩き込み綴じた塊には原価を超えた価値が宿っている。 その価値をこの街に集めたのは、僕らの世代ではない。 僕らの一つ前の世代でも無い。 ここは僕たちが直接知らない古い人たちが少しづつ積み上げて出来た街なんだ。 オイルサーディンのようにノスタルジーに浸るのは好きじゃないけど、宝がどこかに眠っている感覚には惹きつけられずにいられない。

今の神保町は、かつての秋葉原の電気街のようだ。と 古い人たちがかき集め守ってきた宝物がどんどん蒸発していく。 「本」蒸発した後、かつての書店にはドンキホーテやABCマート、ダイソーが入っている。 宝の本を探して行ったり来たりしたフロアに、もはや本はない。 この街を作ったのは僕たちじゃない。 でもこの街を壊したのは僕たちだ。 神保町に行かず、Wikipediaで調べ、Amazonで本を買う。 そうしてこの瞬間も僕たちは神保町を壊しいく。 そのかわりに僕たちが作り上げているのが、ドンキホーテやABCマート、ダイソーであり、AmazonやGoogleやトランプのアメリカや習近平の中国、そしてこの国なんだ。 この先、新しい人たちは僕たちが作ったものを壊していく。 それも見届けていくのは僕たちでなくこの街だ。



見届けるもの