生活、やりがい、成長、社会への貢献などなど、働く動機は様々です。
また、「働く」とは「傍を楽にする」が語源であるという説があるそうですが、利他的な行為が基本であるとすれば、人は社会を支えるために働いていることになります。
実際、会社員であれば、毎月受け取る給与明細には、税金や年金や保険料が、決して少なくない金額で形状されています。
今更ではありますが、本人の動機云々は別として、社会の一員として果すべき義務が課せられていて、働くことはその義務を果すことでもあるのです。
一方で、どう働くか、なにを仕事にするかは自由に選択できる権利があります。
義務の履行と権利の執行は、多少のタイミングのズレがあっても全体として一生の間にバランスが取れていないと社会の存立が危うくなります。
現在の日本社会は、少子高齢化により働く世代の減少、社会保障費の増加、国庫の財政悪化など社会の存立にとって大きな課題があります。働くことへのプレッシャーが高まる構造です。
さらに、野村総合研究所がイギリスのオックスフォード大学の研究者と共同で行った研究では、”10年から20年後には、今、日本で働いている人の49%の職業が、機械や人工知能によって代替することが可能だ”という結果に至ったそうです。
要するに、義務はより重く、権利はより狭くなる、というのが今から将来に向かって見えている「働く」景色です。
利己的な動機を持つ人にとっては、悲劇かもしれません。日本を捨てて海外へ移住しようとする人も増えるでしょう。
一方、利他的な動機を持つ人にとっては、目の前に可能性が広がるのではないでしょうか。それらの人は、自分の権利を行使出来る範囲で、より多くの義務を果すことにやりがいや意欲を持つので、機械や人工知能を最大限活用し、新たなイノベーションを起こす主役となります。
実際、すでにそのように活動を変えている人も居ます。
2015年は何のために働くのか、の分岐点に到達した年なのかもしれません。
分岐する
